資本主義に抱いた夢を探す

ここ数年、動的な音楽から静的な音楽へシフトして音源を聴いています。
資本主義経済の転換がどんどん差し迫ってきているのを肌で感じつつ、次の時代のメンタルを音楽を通じで模索しているのだと自分では感じています。

資本主義社会において重要なメンタルは競争心です。
優れたサービスは生き残り、そうでないものは消滅、または吸収される。
その基本原理は僕が生まれた時からの話で疑う必要性すらありませんでした。

ところがここ数年、資本主義に支えられた様々な部分、物質的なことも、その中で生き抜くための精神的な部分も虚しく感じることが増えてきました。
終わってもいない資本主義の生活が、昭和を振り返るような懐かしさすら感じることもあります。

様々な観点から先人たちが資本主義に抱いた夢を見出すことが出来ると思いますが、その本当の意味を今理解するべきタイミングが来たのだと僕は感じています。

今年の音楽の旅は、資本主義に抱いた夢を探すことです。
それは時代が変わっても引き継がれるべき大切なものだと感じます。

今年の抱負として締めます。

黄金色の波紋

それは黄金色をした音
波紋のようにゆっくりと広がる光が
地平線の彼方まで響き渡る

そこに言葉はなく
これっぽっちの知性もいらない

暖炉のようなやわらかな温もりが
光へ向かう昆虫たちのように
心の奥底の絶望さえも
幻想に変わる

小麦畑に吹く風のように
ひとつひとつの稲穂が
黄金の絨毯になってダンスをする

 

インディゴの雫より

AIによって相対化されていく人間像

カメラが壊れてからブログを書く気にならなかったのですが
先日修理が終わったので久しぶりにブログを再開します。

最近は人工知能の情報を漁っているのですが、人間の特権と思われていたものが、少しづつ崩壊していくのを目の当たりに感じるようになってきました。

去年の末には情報処理学会が、将棋プロ棋士への挑戦を「事実上の目標を達成した」として終了。
将棋より局面が多い囲碁においては更に10年かかると言われていたのに、先日AIが欧州チャンピオンに勝利したとの報道を見た時には驚きました。

この10年を一気に縮めたのは、ニューラルネットワーク〜ディープラーニングによる恩恵が大きいと感じています。

囲碁や将棋はエンターテインメントとしての楽しみがあるので、わざわざコンピューターとやらなくても人対人という形で続いていくのだろうけど、問題になるのは様々な仕事がAIに取って代わるということです。
10〜20年後には今ある仕事の半分が無くなるという予測にリアリティを感じます。

個人的に最も気になる金融市場で使われているAIです。
自分が育てたAIが強くなれば億万長者、いやいや億万「兆」者も夢じゃない。
AIの作成はIT企業の分野で、ソフトを開発して販売するより直接市場で売買して儲けちゃえばいいというダイレクトな点も面白い。
既に市場の半分は人工知能の売り買いと言われてますが、個人でもAIを使うようになったらどうなるんだ?という疑問はあります。
AIを盾に売り買いするようになれば、他より強いAIを開発する戦いに変わります。
もはや意味不明です。

AIの技術革新によって国家、法律、社会、倫理など多方向で急速に変化せざるを得ないので、一体どうなっちゃうんだろう?という呑気な傍観者的立ち位置で見てしまいますが、急速な変化を素早くキャッチして追従する人、関心がない人との間で温度差が生まれるので、そこから生まれる争いは避けられない気がします。

僕の関心ごとの1つは、AIによって相対化されていく人間像にあります。
人間には思いもつかなかったこと、これまで間違いだとされていたこと、当たり前すぎて疑問すら抱かなかったこと、そういった人間固有の価値観がAIによって刺激されたり壊されることで、人間の本質により1歩近づけると思うからです。

知性という分野においては、AIにバトンタッチすることになるだろうし、AIから見れば僕もアインシュタインも変わらないという話になれば、人間同士の奪い合い、競い合いはもはや意味がありません。

2016年はAIへの敗北として価値観を変えるより、もう一度我に返って自分自身の世界のあり方を組み直していこうかと思います。これは悲観的な意味でなはく、これまでの人類の歴史の中で、絶えず現実に押しつぶされていたものが次々と消滅し、諦めてしまった多くの理想が重要になってくると感じるからです。悲観的というより、かなり楽観的です。

想像力をフルに働かせつつ
究極の理想を描きつつ

そんなことを考えつつ、抱負っぽく締めます。

環境と音の関係性を観察する

音楽や音は人にどのような影響を与えるのか。
心地よいと感じる音楽や、テンションの上がる音楽がある一方で、退屈に感じる音楽や不快になる音楽まで、音楽には不思議な力が宿っています。

僕は20代の頃、DJをしながらこれらの疑問に答えてくれる書物を探しました。あれから10年以上たっていますが、謎は深まるばかりで今も神秘的な存在として音楽がそこにあります。今後DJをすることもないと思う(?)のでダンスミュージック以外に的を絞って掘り下げています。

写真にアップした書籍は音楽に関する内容が書かれているもののアプローチの異なる本です。

音楽の認知心理学 著リタ・アイエロ

僕たちは音をどのように知覚しまた認識しているのか。人工知能を考えるうえで認知心理学の期待は大きいと思いますし、並行して音楽の認知心理学も今後の数年〜数十年で急速に発展するんじゃないかと思っています。残念なのは内容が難しすぎて半分も理解できなかったところ。それは本のせいではありませんが、今はもっと分かりやすく最新の研究が記された書籍がありそうな気がします。
心や感情といった漠然とした概念でしか認識できなかったことが、1つ1つの事例をあげ、細かく分けて検証していく、科学や学問に身をおく方なら当然のことなのかもしれませんが、その発想自体が素晴らしいヒントであったのは確かです。

星界の音楽 著ジョスリン・ゴドウィン

恐らく上の本と一緒に読もうと思う人は少ないかもしれません。ピタゴラスやフロイトが研究していた神秘の世界は、今も音楽に存在していると僕は思っています。音楽の秘教的世界に興味があればオススメの1冊です。

と、いつのまにかレビューになってました。
この本を読んでいた頃、一般的にもDJは認知されてきた頃でクラブ以外にもカフェなどのスペースでもDJプースを設置しているお店などが増えた時期です。クラブでどうやって踊らせて楽しませるかに疲れていた僕は、ダンス以外の音楽の魅力とその可能性に惹かれていきました。ラウンジDJという言葉があります(ました?)が、僕にとってそれはDJが市民権を得て独り立ちした最初の出来事だったのかもしれません。

僕が今興味を持っているは静的な音楽の作品群です。
これらの作品の中で、例えばエリックサティの家具の音楽、ブライアンイーノの空港のための音楽、最近では日々の生活に穏やかに調和する音楽としてKITCHEN. LABELなどがあり、具体的な状況や場所が想定して制作されているものです。

その中で「サウンドスケープ」という概念はこれらを結ぶヒントになっているのではないかと思います。

作曲家 M.シェーファーが提唱する概念で,「音の風景」を意味する造語。騒音などの人工音,風や水などの自然の音をはじめ,社会を取囲むさまざまな音環境の総体をさす。それは地域や時代,季節,時間などによって変化し,どのように人に聞こえるかは,その場合によってそれぞれ異なる。

引用元:サウンドスケープ

例えば山奥で集音したものを、オフィスビルのスピーカーから流すと人は何らかの違和感を検知するように、聞く場所や状況でも受け取る音の印象は変化します。

具体的な音楽作品と場所の関係性については、学術的な研究でもまだまだこれからだと思いますが、直接人体に影響を及ぼすものなのならば、理屈はわからなくても体験的に知ることは可能です。
エリックサティの家具の音楽、ブライアンイーノの空港のための音楽などもきっとそのような体験が反映されたものではないかと思っています。

部屋のスピーカーや車での移動中など、いろいろな環境で音楽を聴ききながら自分を使って観察してみる。お店、デパートなどでBGMと一緒に観察してみる。日常から聴こえてくる音を意識的に観察してみる。
環境と音の関係性を観察して新しい発見があればいいなと思います。
まずはこの辺から見直していきたいですね。

匿名SNSがもたらすもの

クローズド型ソーシャルメディア、匿名SNSがじわじわ勢力を伸ばしているという話。
日本ではmixiがあるので今更???って気もしなくもないですが、SNS疲れを踏まえた現在の形なのかもしれません。

日本での匿名サイトというと、出会い系の殺人、2chの殺人予告などネガティブなニュースが多いのですが、今日はメリットや必要性について考えてみたいと思います。

日本人は関係性を重んじる

西洋人は対象となるそのものを重視するのに対し、東洋人関係性を重視するそうです。

日本では関係性を大切にする反面、本音が言いにくい文化であることは誰しも感じているところです。
「お陰様で」という日本語も、関係性の上に自分が成り立っていることを表す言葉。
日本人として美しくも理想的な在り方です。

これは、他者との関係の中で自分自身が生かされているという哲学。
もっと簡単に言えば思いやりを大切にする文化ですよね。
風が吹けば桶屋が儲かる」のことわざも、そんな日本人の感覚が端的に表現されたものに思います。

しかし理屈や道理、本能、欲求は必ずしも一致するものでありません。
今もタバコを咥えながらブログを書いてますが、わかっちゃいるけど止められないってのもまた人間なんですよ。

関係性を大切にする文化だからこそ、本音と建前が存在してしまうし、時には酒を呑みながら腹を割って話そうとなる。
匿名SNSはアジア圏にこそ必要なコミュニケーションツールだと僕は思っています。

また、インターネットの素晴らしいところは、世界中のあらゆる情報がいつでも取り出せることです。
建前だけでは人の情報の半分でしかないですし、もう半分の本音があって「人間」だと思うので、偏った情報にならないという意味においても重要な役割があるんじゃないでしょうか。

今後、匿名SNSが広まるかは不明ですが、流行すればきっと見えてくることがあるだろうなぁと思います。